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ビルマの今

2008年10月01日

今年4月の「ビルマの今」講演会プレスリリース

アムネスティ静岡グループ発表ニュース
(2008年4月3日)

静岡市にて在日ビルマ人による講演会「ビルマの今」開催

社団法人アムネスティ・インターナショナル日本 第20(静岡)グループ(略称「アムネスティ静岡グループ」、石上康彦代表)は3月23日(日)午後、静岡市内のアイセル21(静岡市女性会館・中央公民館)にて在日ビルマ人のココラット氏を講師として招聘し、講演会を開催した。本講演会は昨年8月以降のビルマにおける情勢の緊迫化をきっかけとして同グループ会員からのビルマについて学習したいという声を受け、公開学習会として企画された。31名が参加したが、磐田や浜松からも参加者が駆けつけた。同グループによるビルマに関する講演会開催は、これが初めて。


アムネスティ・インターナショナル(以下、アムネスティ)は、国連総会で採択された世界人権宣言が守られる社会の実現を目的とする国際的なボランティア団体で、1961年に設立され、現在では220万人の会員が世界150以上の国や地域で活動している。アムネスティ静岡グループは79年に設立され、その会員・会友は約60名。

 アムネスティは昨年9月にビルマでの平和的デモや行進に対して同国の軍事政権が行なった暴力的弾圧に懸念を示してきた。弾圧の際に逮捕された1000人以上の人々や、その後も続く民主化活動家などへの逮捕に関しては、軍事政権に対し、拘禁されている人びとを人道的に処遇すること、平和的デモ行進に参加して逮捕された人々を即時無条件に釈放すること、拘禁されている人々が公式の拘禁施設で拘禁されること、ただちに弁護人や家族と面会できること、必要な医療措置を受けられるようにすることを要求し、この要求を世界の一般の人びとが手紙などによってビルマの軍事政権に対して表明することも呼びかけている。

社団法人アムネスティ・インターナショナル日本は、ウェブサイトhttp://www.amnesty.or.jp/modules/bmsurvey/public/survey.php?name=webaction02_Myanmar では在日ビルマ(ミャンマー)大使館に宛て、上記の要求を記したメッセージを送ることのできるページも設置している。また、直接ビルマの軍事政権のトップ、タン・シュエ上級大将に宛てた同様の要求を記したハガキも作成し、送料実費のみで一般に向けて配布している。

<アムネスティの中立性>
アムネスティは、多様な政治的・宗教的信条を持った人びとの集まりであり、ビルマ(ミャンマー)を含め、いかなる特定の政治体制にも支持や反対を示すことはなく、アムネスティが支援の対象とする難民や政治活動家などの主張を支持することもないが、表現の自由などの人権を侵害された被害者を支援するという方針を貫いてきた。

<ココラット氏の略歴>
1988年からビルマで民主化運動に加わり、全ビルマ高校学生連盟において書記長を務めたが、90年の総選挙当日に反政府活動を理由に逮捕された。釈放後も監視下に置かれたため、91年にタイ経由で日本へ逃れ、2001年に日本政府より難民に認定された。ビルマ民主化支援会(SCDB, http://www.scdb.org/)の代表として各地で講演をしてきた。37歳。

<ココラット氏による講演の概要は「別紙」をご参照ください。>

2008年10月01日

「ビルマの今」講演概要

ココラット氏による講演の概要
講演日時:2008年3月23日(日)午後1時30分~3時30分
場所:アイセル21(静岡市女性会館・中央公民館) 41集会室
主催:アムネスティ静岡グループ
文責:本田倫太郎

氏はパワーポイント写真や図を示しながらビルマの軍政が長期にわたって存在し続けている要因や、先月に訪問したタイにあるビルマ難民キャンプの様子なども紹介していった。最初に氏は会場の参加者に、「もしあなたの家がなくなったらどうしますか?もし自分が逮捕されて、公正な裁判にかけられないままずっと刑務所や自宅にいなくてはいけなくなったらどうしますか?」と問いかけた。「これらのことが起こっているのは、いわゆる独裁国家。北朝鮮、中国、スーダンなどはその例であると私は考えていますが、私の国のビルマもそうです」と氏は続けた。

「ビルマは東南アジアで最も豊かな国家でした。しかし1962年以降、軍のクーデターにより軍による政治支配が続きます。88年3月に大学生と町の若者との間の喧嘩について警察が不公平な対処をしたことから200人以上の大学生が平和的なデモ行進をしたところ、警察機動隊が発砲し、学生100人以上が命を落としました。同年8月8日(8が4つの日=『シッレーロン』の日)に全ビルマ学生連盟の呼びかけのもと、学生や僧侶をはじめビルマ全土で国民がデモ行進し、一党独裁の終結、ビルマ式社会主義の終結、民主化を要求しました。しかし軍はこれを武力で鎮圧、3日間でデモに参加した民間人のうち1000人以上が死亡してしまいます。同年9月、軍はさらにクーデターを決行、国家秩序回復評議会を設置しました。次の年、同評議会によりビルマ連邦という国名がミャンマー連邦に変えられてしまいます」とココラット氏は国名について言及した。「国名は国民や、国民が選んだ議員が決めるもののはず。軍が勝手に国名を変更してしまったので、私たち民主化活動家は自分の国のことを今もビルマと呼ぶのです」。

もともとココラット氏は普通の、政治のことなどわからない学生にすぎなかったという。しかし、88年の民主化運動の盛り上がりを機にその運動に参加していくことになる。91年に国外に出たとき、氏は母国に1,2年で帰ることができると考えており、まさかこれほど長く国外で生活することになるとは予想していなかった。その後、日本で難民申請を行なうが、氏は「本当は難民申請をしたくはありませんでした。難民として認定されることが難民にとってのゴールなのではなく、故郷に帰ることこそがゴールなのです」と強調した。

また氏は学生運動の際に寝食を共にした友人、テッウィンアウンさんの写真を会場のスクリーンに映しながら、98年に彼が逮捕され、その後に刑務所のなかで拷問により歩行ができなくなったという知らせを人づてに聞いて心配していたところ、昨年に亡くなったとの知らせを受けたことを紹介。聴衆からはテッウィンアウンさんの死は非常に印象深い事柄であるとの感想も講演会の後に聞かれた。

さらにココラット氏はビルマの軍政が長続きしているのは周辺の中国、インド、タイなどがビルマの軍政を支援あるいは維持しておきたい思惑があるからとして、中国によるビルマへの武器供与や、タイ政府が国内のビルマ難民の存在についてできる限りタイの一般市民に知らせないようにしていること、15万人とされるタイのビルマ難民は難民キャンプの外に出ることが許されていないことなども挙げた。今年の2月にココラット氏がタイの難民キャンプに訪問した際には薬、食料、教育資材が不足しており、在外ビルマ人が私費によってキャンプを援助していると述べた。氏自身も難民キャンプをインターネットに接続可能な状態にできないか考えているという。

こうした状況に対して氏は日本の一般市民の人々ができることを挙げた。まず、今のビルマには観光旅行などに行かないでほしいという。ビルマに旅行していった日本人にこのことを述べると、そうした人びとからは「私たちは軍の関係する施設などには行っていない」という答えが返ってくるという。氏は「しかし違うのです。まずビルマに入国するためのビザの代金を支払わなくてはならないでしょう。そして空港税、ホテルでの宿泊費など、どれもすべてビルマの軍事政権に還流し、軍政を支える資金になっているのです」と指摘した。

次に、ビルマとの間で経済活動をしないでほしいとココラット氏は述べた。外国との間で経済活動ができるビルマ国内の人というのは軍関係者だけであるとした。さらにココラット氏は、私たち民主化運動をしている者は今度開催される北京オリンピックをテレビで見ないでほしいというキャンペーンもしていて、実は私たちは(ビルマ軍政を支援している)中国の製品も皆さんに買わないでほしいのだが、日本社会の現状からすると中国製品を買わないで一般の日本の人々が生活していくことは難しいだろうとも語った。

氏は、「20年も民主化活動をしていると、私たち30代の在外ビルマ人のなかには武器を取って軍政を倒そうという人も増えていますが、私はそれには大反対です。一旦、武力で蜂起して軍政を倒しても(これまでのビルマの歴史のなかでそうだったように)また軍がクーデターをするでしょう。また、軍政の下にあり続けたビルマ社会は疲弊しているので、その社会を立て直すのにも時間がかかります。イラク情勢を見ていても思うのですが、復讐は復讐を呼ぶので断ち切って、平和的な社会にしなくてはいけないと思います」と力強く語り、平和的手段によってビルマが抱えている問題を解決するよう訴えた。

ココラット氏は加えて、ビルマの国父と言われるアウンサン将軍は1941年に静岡県の浜松で勉強しており、ビルマ国軍はもともと旧日本軍が作ったものであり、そうしたつながりも強調しておきたいとした。さらにビルマの一般の人々は、旧日本軍のビルマでの行動については旧日本軍の兵士たちが上官の命令に逆らうことができなかったため起こった出来事であり、一般の旧日本軍兵士に罪はないと考えているとも述べた。最後にココラット氏は「ビルマのことを皆さんが考えるのを今日だけにするのではなく、ぜひ今後も継続的にビルマの人々のことを考えてください。『シッレーロン』の日の20周年記念日(8月8日)も迫ってきていますから」と語って参加者との交流を締めくくった。(了)
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